言語学の授業における良い質問・コメントの基準と例

1. はじめに

1.1. この文書の位置づけ

この文書は、私が担当する言語学関連の授業において、より良い質問・コメントをするためのガイドである。これまでも授業で都度説明してきたことがほとんどだが、参照できる形にまとめておくと便利かもと思ったので作成することにした。

なお、「リアクションペーパー(さいきんはLMSでの課題が中心だが)に何を書けば良いか」のガイドということを優先している。その場でのやりとりができる場合は、最初の質問・コメントがあまり良くなくても、やりとりを重ねることで良い質問・コメントにつながることもあるからである。

1.2. 注意点

以上のような目的・性格の文書であるため、参考にする場合は以下の点に注意すること。

  1. これ自身はあくまで良い言動のための指針であって、成績の評価基準(そのもの)ではない。評価基準は授業内容のほかに授業のタイプ(例:講義か演習か)や到達目標などによっても変わるので、必ずシラバス及び授業での説明を確認すること。
  2. 私が担当する授業についての話なので、言語学関連の授業一般で以下のことが「良い」あるいは「悪い」とされるかどうかは分からない。私が担当しているのは言語学のごく一部の領域・トピックである(統語論・形態論辺り)。他の授業については担当教員に確認することをおすすめする。
  3. 「授業における良い質問・コメント」の話であって、「研究発表における良い質問・コメント」の話とは必ずしも一致しない。
  4. 言語学の初学者・入門者を主な対象として想定している。ある程度言語学のトレーニングを受けた人にとってはそれほど有用な情報ではないと思われる(復習や整理にはなるかもしれない)。
  5. 質問・コメントの良さ・悪さのポイントや基準はほかにも候補があるが、すべて列挙するのは大変なので優先順位が高いものから書いている。

2. 良い質問・コメント

2.1. 評価の前提と「感想」の取り扱い

良い評価につながる可能性の高い質問・コメントの重要な条件の1つとして、「あなたがこの授業の内容をどのように/どれくらい理解したのか」の判断材料になることが挙げられる。

その点で、「面白かったです」のような形の単なる感想は、評価すること自体が難しい。授業の理解に関する情報がこの表現からは得られないからである(内容を完全に誤解した結果として面白かったのかもしれない)。感想を明確に禁止していなければ書くこと自体は問題ないし、「面白い」などと言われればやった方は嬉しい。ただしそれが評価につながるかは別である。

これはネガティブな感想に関しても同じで、授業の内容に関する手がかりがない場合はネガティブなこと(例:つまらなかった)を書かれただけでマイナス評価にすることはない。ただし差別的であるなど、内容・表現に問題がある場合は個別に指摘・指導することはある。

従って、感想の形を取っていてもたとえば「日本語でモダリティ形式「べき」の補文が非定形節ではないかという説は英語の法助動詞が不定詞を取るのと平行的で面白かったです。」のような書き方をしている場合は、理由を述べているところに授業の内容に関する理解が示されており、十分良い評価につながる。

ちなみに、ネガティブな感想の場合も、単に「つまらなかった」ではなく「〜だったのでつまらなかった」のように理由を添えてもらえると授業改善につながる可能性があり、授業をする方としては助かる。

私の授業では、授業の内容への理解については加点式で評価しているので、内容を誤解していることによる減点は気にしない方が良い。誤解がばれるのを恐れてあいまいな質問・コメントをする方が低い評価につながることが多い。授業の運営としても、何がどう誤解されているかが分かった方がその後の授業で補足などが的確に行えるので助かることが多い。

2.1. 例を挙げる

私が優先的に検討してほしいと考えるのは、例に関する質問・コメントである。これは良い評価につながりやすいだけでなく、言語学の良いトレーニングにもなる。なお、この後に書く文法性・容認性も例に関する話なのだが、こちらでは実例(実際に使用された例)を中心に取り上げる。

言語学の授業では、言語表現に対して「言える/言えない」「(使用)例が存在する/存在しない」という話がよく出てくる。細かい話をすると、「言える/言えない」は程度問題で(も)あり、どれくらい(不)自然かも論点になるし、「例が存在する/存在しない」についてはその数・量も論点になる。

このような例の話が授業で出てきた際に、それに対する質問・コメントをすることができる。

分かりやすいのは「例が存在しない」という話に対して、「例があります」というコメントだろう。なお、授業で示された例とまったく同じケースでない限り、自分が挙げる例が適切な例なのかについては検討の余地があるので、たとえば「形容詞「低い」から動詞「低まる」は作りにくいということですが、最近のSNSでは「テンションが下がった」というような意味で「低まる」を使う例があります」のように何に対する例なのか明示するのが良い。質問の形にして「…ということですが、〜という例がそれに該当するのではないでしょうか」でもほぼ同じ。

コメントを書く時間に余裕があるのなら、実際の使用例を付けることができるとなお良い。その場合でも、単に例だけを挙げるのではなく、何の例として挙げているのかを書くと、授業の内容(理解)との関連が分かりやすくなる。上に書いたようなSNSなら検索してリンクをはることができるので手軽だろう。もちろんコーパスやデータベースを使用するのも良い。授業の質問・コメントでは対面会話に出てきた例やLINEでのやりとりに出てきた例など、すぐには根拠を付けられないものも気軽に書いて良い(研究発表や論文で出す場合はデータとして付ける必要があるし、情報提供者への倫理的な配慮も検討しなければならない)。

そのほかに、条件によってはある例が可能になるということもある。たとえば、上に挙げた例の動詞「低まる」は前後(特に前)に対になる動詞「高まる」が使用されていると、「テンションが低くなった」以外の気圧や気運に対する例もけっこう見つかる。単にそのような見つかった例を挙げるだけでも良い質問・コメントになるが、「「高まる」と一緒に使われている例がよく出てきます」のように書いてあると言語表現・言語現象に対する考察としてより高い評価を得やすい。

言語学では慣習的に「例(文)」と呼ぶために最初はややその重要性がわかりにくいかもしれないが、これらは例示であるだけでなく、議論を支えるデータ全体の代表例であることが一般的なので、その可否や有無は大きなポイントである。たとえば「動詞「食べる」は他動詞である」という分析の例文として「太郎がリンゴを食べた」が挙げられている場合、この例文は他のデータ、たとえば「山田先生がマンゴーを食べた」などを代表している。ただしより個別の、かなり特定的な例文の可否が問題になることも多い。

2.2. 文法性/容認性判断、文脈の検討

上にも書いたように、言語学では言語表現に対して「言える/言えない」という話がよく出てくる。「自然/不自然」のような表現が使用されることもあるし、より専門的な用語を用いて「文法的/非文法的」「容認性が高い/低い」のように言うこともある。

これは、言語表現の可否に対して、実際に例が存在するかどうかではなく、話者にそのような表現を生み出す仕組みが内在しているかどうかを問題にしている。文法性判断、容認性判断、あるいは(内省による)判断などと呼ばれる。専門的にはいろいろな話があるが、ごく入門の段階では、第1言語話者(母語話者)がその表現を「自然/不自然」に感じるかどうかという話だと考えると良いだろう。

授業でこのような判断が示された場合、特に自分の感覚と異なる場合は、その報告自体が新たなデータ提供になったり、新たな議論につながったりする可能性がある。この場合もたとえば「モダリティ形式「べき」の補文には否定辞が現れず「冬山には登らないべきだ」が非文法的とされていますが、私はこの例はそれほど不自然ではありません」のように、なぜその例文が示されているのかから質問やコメントを始めるのが良い。

また、例に手を加えても良い。「目的語を〜に変えると」「副詞〜を加えると」「過去のテンスの場合は」のように条件を変えてその例(文)の自然さが変わるかどうかというのは重要な研究プロセスの1つである。また、ある特定の文脈の元では(不)可能になるということも良くある。授業で何か文脈が添えられている場合は、それを変えて試してみるのも良いだろう。授業での質問・コメントという観点から見ると、このように条件を変えて検討するという手法をとることができること自体プラス評価につながるのに加えて、その具体的な検討内容から授業内容への理解が計れることが多く、良いタイプの質問・コメントの1つである。

また、実例の(不)存在と文法性/容認性判断がずれることは不思議ではないので、両方について書く場合、自らの感覚・判断を曲げずにそのまま書くのが良い。「自分は〜という表現は不自然に感じますが、検索すると「〜」のようにたくさん例が見つかります」ということは珍しくない

2.3. 他の言語変種ではどうか

これも上2つの例の可否、つまりデータに関する話であるが、観点として知っておくと良いので別に書いておく。

ある言語表現(のタイプ/パターン)について、異なる言語変種ではその可否が変わるということが珍しくない。

分かりやすいのが地理的変種、いわゆる方言だろう。授業で出てきたある言語表現に対する「(不)可能」「例が存在する/しない」という話について、(でも自分の方言だと違うな…)と思ったら、質問・コメントに書くチャンスである。特に分析や仮説によっては異なる言語変種のデータでも(間接的に)問題になることもあり、自分で「でも方言だから違う話か」と完結せずに検討してみてほしい。ただしもちろん別の言語変種なので別の話として独立して処理されることもある。

また、分析や仮説によっては他言語のデータが議論に関わることがあるので、授業で取り扱っていない言語の話であっても、授業内容との関連が付けられる場合は検討してみると良いだろう。ただ方言の場合と違って、見た目(語形など)が同じとか似ているとかということが少なく、タイプやパターンといった抽象的なレベルで関連性を判断しなければならず、やや難易度は高いと思われる。直訳したらどうなるかという辺りから試してみるのも良いかもしれない。

2.3. 批判

ここで言う批判とは、否定に限らず、「すぐに受け入れず、検討する姿勢」としての批判を指す。

授業で出てきた話を批判すると、授業内容への理解を判断する手がかりになりやすく、評価にもつながりやすい。

少し注意なのは、特に入門段階で出てくる話は他の研究者によっていろいろ検討された結果まだ生き延びているというものが多いので、批判すること自体が難しいということがある。ただ、研究発表や論文では同様の批判が先に誰かによって指摘されていないか探す必要があるが、授業への質問・コメントであればそこまで気にせず書いてほしい。

また、すでに批判が存在することを知っている場合は、それを書くのも良い。その場合も、「〜という文献でこの説に対して「〜」という批判がされていますが、問題ではないのでしょうか」のように、自分がどの批判について検討すべきだと考えているのか明示するのが良い。もちろん、先行研究の批判に合わせて、さらに自分で根拠を挙げることができればなお良い。

私からのおすすめは、批判する場合もやはり例をきっかけにするというやり方である。分析や仮説に合わない例が可能か、存在しないかを考えたり調べたりして、そういうものが見つかれば反例や例外として批判を構築する手がかりになる可能性がある。これは実際に研究をしているとうまく見つからないことも多く難しいのだが、結果として見つからなかったとしても言語学の研究としては良いトレーニングである。また、「〜という方法で探したが見つからなかった」も重要な成果の1つであって、授業での質問・コメントに書くと良い。

3. 評価につながらない質問・コメントの例

特に私がこれまで見てきた中で気になるもの、よく見られるものを少し挙げておく。

3.1. 規範

言語学入門では良く出てくる話の1つに「言語学は規範的ではなく記述的なもの」というものがあるが、これは「言語学の研究に規範を(直接)決める力や仕組みはない」というくらいの意味であって、実際の言語学の研究や議論では、規範について検討することも少なくないし、規範について研究する領域やトピックもある。また、そうは言っても結果的に言語学の成果や研究者が実際の規範の形成に関わる(関わってしまう)ことも珍しくない。

授業への質問・コメントとしてよろしくない規範的なものは、典型的には「正しい日本語を使おうと思います」「今後はもっと敬語に気をつけるようにします」のような宣言である。これらは、単に規範的だからダメなのではなく、授業の内容を理解できていない、あるいは授業の内容に反しているという点で評価が低くなってしまうことが多い。

たとえば、日本語の敬語の使用にはさまざまな条件が複雑に関わっている。これは仕組みの話をしているのであって、「だから気をつけてちゃんと使わなければならない」という話ではない。ということを授業でもはっきりと話したのに「もっと気をつけるようにします」としか書いてないと授業の内容を理解したと判断するのは難しい。

もちろんこれは「言語学の授業で敬語について規範的な質問やコメントを書いてはいけない」と一般化することはできない。敬語には社会規範としての側面、言語教育や言語政策に関わる側面もあるので、授業でそのような話が出た場合に、「学校で敬語について〜と習った」とか「自分の中には敬語について〜という規範がある」といったコメントをしたり、そのような観点から質問や疑問の提示を行うのは授業の内容に則していて良い評価につながる可能性が高い。

ややこしい、と思っただろうか。しかしここまで細かく考えないと理解しているかどうかということの検討は難しい。

3.2. 「〜が分かった/分からなかった」

「〜が分かった」というのはよく出てくるコメントのパターンの1つだが、何が分かったのかが判断できず、評価の手がかりとして使えないことが多い。

特に、授業の資料の一部を(ほぼ)そのまま持ってきて「であることが分かった」などを最後に添えただけでは、その内容を理解できたと判断することは難しい。

これを使うなら、授業の内容をかなりの部分自分の言葉・表現で言い換えないと理解の程度を判断することができず、実は難易度が高い表現である。それにしてはよく見かけるのだが受験テクニックなどで身につけるのだろうか。

「〜が分からなかった」についても、たとえば「相対敬語がよく分かりませんでした」のように単純な表現では授業への理解度が推定できず、評価につながりにくい。実際に話を聞いてみると本当に理解が及んでいない場合だけでなく理解はできているが納得していない受講生がこのように書くこともあり、その場合は損をしてしまっている。

納得できない場合はそのことをはっきり書くのが良い(批判として評価できる)。また、「〜という説明があったが、〜のところについては〜という問題/例があるので成り立たないのではないか」のように、理解した部分と納得がいかない部分をどちらも具体的に書くと評価につながりやすい。

4. おわりに

質問・コメントにおける悪質な行為について書いておこうかと思ったが、どちらかというと評価基準に強く関わるところなので加筆を検討中である。

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